紅茶 歴史
紅茶の歴史 中国〜日本へ 中国〜イギリスへ
中国で茶(紅茶や緑茶を含む茶全般)は始まりました。その後、茶は日本に伝わり、独自の茶の湯茶文化は千利休によって大成されその一方で茶は西欧にも伝わり世界の歴史と深く関わりあいながら、かつて七つの海(SEVEN SEA)を支配した大英帝国によってもう一つの茶、いわゆる紅茶文化が大成しました。
茶の起源は定かではありませんが、およそ二千年前に隣の大国、中国で飲まれはじめたといわれています。その後、日本に天台宗の開祖、最澄が茶の種子を持ちかえりました。はじめは万能の薬として珍重された茶でしたが、後には芸術の対象となっていき戦国時代の安土・桃山文化の中心的存在になっていきました。千利休によって大成された日本の茶の湯文化は当時の権力者、戦国大名などから畏敬の目で見られるまでになりました。天下人、豊臣秀吉はこれを利用して北野大茶会を開き権力の誇示しました。
このようにして日本の茶の湯文化はその絶頂期を迎えます。当時、キリスト教の布教に日本を訪れていたヨーロッパの宣教師も、この茶の湯文化に好奇心と畏敬心をいだき、ヨーロッパに茶が伝えられる契機となったのです。イギリスの紅茶文化の起源は日本の茶の湯文化にあるのかもしれません。当時、アジアまで進出していたオランダが中国から茶を輸入しました。それがヨーロッパに初めて茶が伝わったときでした。その後、イギリスがオランダに戦争で勝ち、イギリス東インド会社が茶の貿易を独占していくようになり、完全発酵の茶、つまり紅茶が生まれました。
紅茶はイギリス貴族の間で人気を博し庶民の間にも浸透していったため、イギリス人の紅茶消費量は莫大なものになっていきました。当時、イギリスは紅茶を中国から輸入していました。イギリスは財政を潤すために紅茶輸入時の関税を高くしたり、茶税法と称して当時、植民地の一つであるアメリカに強制的に紅茶を押し付けたりしたため、ボストン茶会事件の後、アメリカ独立戦争が起きアメリカを手放すことになりました。
依然としてイギリスは茶の生産を中国に頼っていて茶の輸入の代わりに大量の銀を支払わねばならず苦しんでいました。なんとかして中国から茶の生産を奪おうとして中国の茶樹を植民地、インド・カルカッタに移植しましたが失敗に終わりました。しかし、その後、幸運にもインド・アッサムで野生の茶樹(アッサム種)を発見しインドでの紅茶の生産の道を開きました。しかし、依然として紅茶の生産を中国に頼っていて銀の流失を防ぐことができなかったイギリスは強行手段に打って出ます。植民地、インドで生産したアヘンを中国に押し付けて、その代金で銀の流失を食い止めようとします。これが契機となりアヘン戦争と発展し、イギリスが中国を破ります。その後、イギリスはインドでの紅茶のプランテーション(大量生産)にも成功し、紅茶文化の象徴となっていきました。
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